立花活動団体
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活動団体紹介

    民俗芸能団体
  • 塩釜神楽
    隣接する橘内(吉内)神楽から伝授されました。昭和52年の伊勢神宮参拝をきっかけに、独立した神楽として塩釜地区で活動するようになりました
  • 立花念仏剣舞
    今から約700年前、国見山廃寺文化と共に生まれたといわれ、毛采(けざい)系の鬼剣舞に対して羽根剣舞とも呼ばれています。念仏剣舞は本来、先祖への供養の気持ちを現すとともに庶民の心を癒すための舞であり、主にお盆や祭りの際に踊られました。今でも送り盆や北上芸能まつり、地域行事の際に踊られています。
  • 立花八士踊り
    天正19(1591)年の一揆討伐後、南部利直公は天下泰平の祝祭として、士卒らに甲冑などをとらせ、八人で陣太鼓を打ちながら踊らせました。そして領民らに帯刀御免の証文を下し、天下泰平・武運長久・五穀成就を願う舞として、普及させたと伝えられています。現在は北上芸能まつりや地域行事の際に踊られています。
  • 橘内神楽
    伊勢神宮参拝に参加した御福田講中によって演じられてきました。発祥の時期は不明ですが、明治時代と考えられています。現在では無病息災や防火を祈願して、主に神社等に舞を奉納しています。
  • 塩釜大神楽
    明治23年の川岸の大火で廃絶した鹿踊の代わりに、明治25年に現在の黒岩宇平沢から立花の妙見堂別当の八重樫家に養子として入った嘉右エ門が主催して舞ったのが始まりといわれています。現在は地区民の健康や五穀成就を祈願して舞われています。
    *妙見堂:立花・塩釜地区にあるお堂
  • あらど神楽
    江刺市(現在は奥州市)稲瀬柏原集落の屋号「船堤」から伝えられた岳系神楽であるといわれ、発祥は明治時代の中頃と考えられています。その事実を裏付ける古い権現頭が立花毘沙門堂に保存されています。現在では主に防火を祈願し、地域の各家庭をまわって門付けをしています。
    ※あらど:立花地区の平坦な田んぼ・畑のある展勝地一帯から日高見橋付近までの地域
  • 展勝地小唄
    川岸の住人・沢藤幸治氏の発案により展勝地公園が開園された記念に、昭和6年、展勝地小唄が創られました。踊りは東京の藤間流家元・藤間貴志代さんによって振付けられ、立花の伊藤キクさんが直接指導を受け、立花地区民に踊りつがれてきました。
※民俗芸能に興味のある方は、立花地区交流センターまでお問い合わせください。
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